レガシィ ドライブ・ツーリング

レガシィで行く週末家出の写真日記

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大山3 鳥取から境港へ

夕刻までに境港へ到着できるように鳥取市を出発、国道9号を西へ向かいました。
国道9号
風力発電用の風車が、いたるところに建てられていました。街で暮らしているとわかりませんが、最近ではツーリングに出かけると日本各地で見かけます。
風力発電
真下から見るととても大きく、風きり音も聞こえて、かなり迫力があります。
mizuki.jpg
夕刻には境港に到着、水木しげるロードを見物しました。

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大山へ2 浜坂加藤文太郎記念館 鳥取

 さらに国道178号を西進、浜坂の加藤文太郎記念館に立ち寄りました。
 旅のお供が六甲山周辺トレッキングの師匠であり、このツーリングの目的も大山登山で、二人とも加藤文太郎のファンとあって立ち寄らないわけには行きませんでした。

  
katobuntarou3.jpg
 知らない方の為に少し紹介しておくと、加藤文太郎は大正から昭和にかけて「不死身の加藤」と呼ばれ活躍した登山家です。今のような登山装備の発達していない時代、パーティーを組んで登攀することが常識であった冬山に、果敢にも単独で挑み数々の記録を残しながらも冬の槍ヶ岳北鎌尾根で遭難死を遂げました。当時の新聞は「国宝的山の猛者、槍ヶ岳で遭難」と報じたそうです。

 かれは神戸の須磨近くに住んでいましたが、六甲山系を縦走した後、宝塚から徒歩で日中に帰宅出来たそうです。文太郎が通ったコースとほぼ近い整備された六甲全山縦走路(須磨?宝塚)でも、私は13時間以上かかりますし、最後はとても歩ける状態ではなくなります。
 浜坂は彼の故郷であり、この記念館では彼の使用した道具や、当時の新聞記事などが展示されています。

katobuntarou2.jpg
 図書館の2階が記念館展示室で、この廊下の奥になります。正面には文太郎のレリーフが飾ってあり、ここでは我々もかなりテンションが上がってしまいました。
 
 ここで師匠と議論になったのは、新田次郎の小説「孤高の人」についてです。
 この小説は実在の加藤文太郎がモデルで、主人公もそのままの名前で出てきます。が、かなり作者なりの味付けがされていて、単独行の加藤が宮村という青年の誘いで初めて無理やりパーティーを組まされ、その青年の行動のせいで北鎌で遭難に至ったことになっています。
 読んだ方ならわかると思いますが小説の中での宮村の悪役ぶりは徹底しています。文太郎が実名で登場し、生い立ちや山行がほぼ事実にもとづいているため、彼を死に追いやったのは宮村のせいだと思い込んでしまう読者もいるそうです。
 加藤が青年とパーティーを組んで同じ北鎌でともに遭難死するのは事実なのですが、青年の名は吉田富久で「単独行」という加藤の手記によれば、彼と組むのは2回目でしかも「私の方から誘惑してしまった。」と書かれており、加藤の方から要請していたのがわかります。
 つまりこの小説は事実と創作がごっちゃになっており、吉田富久という登山家の遺族からすれば不愉快極まりない作品であると思うんです。
 単独行の加藤は、周囲が絶望する中、生還したこともありました。パーティーを組むことで気のゆるみ、とはいかないまでも精神的な変化があり、装備や行程にも変化が出たこと、そしてなによりも山の猛者の想像をも超えた天候状態が遭難の原因であり、これを元にした小説でも十分興味深いと思います。「孤高の人」では、手記から想像できる加藤の考え方や性格などはとてもうまく描かれていると思うので、わざわざ悪役を仕立て上げてほしくなかったなあ、というのが「単独行」を先に読んだ読者の感想ではないでしょうか。
 
 新田次郎は、映画化もされた「八甲田山死の彷徨」でも青森の部隊と、弘前の部隊が冬の八甲田を反対周りに行軍し、結果を競う中、青森隊が遭難し210名中11名しか生還しないというストーリーになっていますが、事実は相手の部隊が行軍してることさえお互い知らなかったのです。しかも、小説には所々当時の遭難報告がそのままのっていたり、各遭難者の遺体発見場所のマップなどがついていて大きな創作があるとは感じさせません。

 「興味深い事件や、事故に大きな創作を加えて小説を書くというのはいかがなもんでしょう・・・。」
と同行者の師匠に聞くと
「司馬遼太郎の歴史小説にも、実在したかどうかわからんようなやつが出てくるしな・・・。」
と。「そうですが遭難者の名誉を傷つけるものはちょっと・・・・・。」で議論は終わりました。

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国道178号、ここで兵庫から、鳥取に入りました
tottorisakyu.jpg
鳥取砂丘
今回は時間がないので砂丘には登りませんでした。前回は砂丘の向こう側の海岸まで降りたので靴の中が砂だらけになりました。(普通の人は丘の上までしか行きません。)

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大山へ1 余部鉄橋とレガシィ

 2008年8月に兵庫県の豊岡、浜坂を経由、鳥取までドライブして境港を観光した後、日本百名山「大山」に登りました。

 国道178号を西へ向かう途中、架け替え工事の始まっていた余部鉄橋を見物することが出来ました。
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 下から見上げるとかなり迫力がありました。蒸気機関車の通過も見てみたかったものです。
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 架け替え用の足場か橋桁かわかりませんが、建設中だったのがわかります。以前は国道の反対側に車を止めるところがあったように記憶しています。
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高さ41m 長さ309mでトレッスルという方式の橋では今でも日本一だそうです。
1912年完成ということで、ほぼ1世紀ここに建っていたことになります。いたましい転落事故があったことも記憶しています。亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。IMG_0291_1.jpg

つづく

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かなりへこんだ日

レガシィ乗換え半年くらいでやられました。あて逃げ・・・・。
1時間100円と格安パーキングに止めたときのことです。四隅のスペースだけ駐車位置が前に出されて、嫌な感じと思いながら止めたんですが案の定でした。傷の位置的に、ボンゴやトラックのような車にあてられたと思います。
駐車位置がイレギュラーなところには止めない方がいいですね。

IMG_0173_1.jpg
この写真は後に別駐車場で撮ったもので白線踏んでるのは屋内駐車場の一番端、柱側のスペースだからです。

この日はかなりへこみましたが、きずは浅くコンパウンドで磨くとほぼわからなくなりました。
よーく見るとへこみも残りましたが・・・・。

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御在所岳トレッキング

今回は、私のお気に入りのトレッキングコースを紹介します。
まずは下の写真を見てください。
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 こちらは鈴鹿の上高地ともよばれる場所の近辺で、琵琶湖に注ぎ込む愛知川上流、支流の神埼川の渓谷になります。関西からアクセスしやすい渓谷のなかでは、水が澄んでいて、川原も清く、明るい感じの場所がたくさんあります。

以下の写真は、5月に三重、滋賀県境の武平峠より雨乞岳と御在所岳の間の峰を超え、神崎川ほとりでキャンプしたときの様子です。
IMG_0172_1.jpg
武平峠から1時間半ほど歩くと、コクイという名の谷に出ます。ここには大きな石垣や、陶器のかけらなどがみれらる場所があります。最初は、「こんなとこに人が住めるんかいな?」と思っていましたが、調べてみるとコクイも含め、このあたり一体にいくつかの鉱山跡があり、明治、大正期には深い山中に数百人もの人が暮らしていたそうです。(今でも1時間半以上歩かないと道路やロープウェイ駅に出れないし当時は両方が無い。)
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この後、思いっきりはまりました・・・・。
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テント
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御在所岳付近から伊勢湾方面をのぞむ

神崎川からは下水晶谷の脇の道を登り、中峠から水晶岳、国見岳、御在所岳を通って、武平峠に帰りました。
御在所岳は一見、ロープウェイ駅付近が山頂のような感じですが、一等三角点はリフトに乗るか、軽いハイキングが必要になります。
PICT2369_1.jpg
向こうがロープウェイ駅のピーク、こちらが山頂
PICT2370_1.jpg
ただこちらのコースは(前半特に)中級者向けです。沢ではルートがわかりにくく、(道か川かわからない箇所多々あり)初心者、単独でのトレッキングはお勧めできません。

大きな地図で見る

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