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レガシィで行く週末家出の写真日記

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奈良3 十津川村2

 十津川村にはまったきっかけは、最初に訪れた後、司馬遼太郎氏の「街道をゆく 十津川街道」を読んで、この地域がもつ壮絶な歴史を知ったからでした。
                                  十津川の写真と動画
ご赦免どころ
 なんでも、江戸時代まで免訴地で、(特別扱いというよりは米を作るような土地が無かった)村内各地域の代表が協議して物事を決めており、十津川共和国ともいえる地域運営がなされていたということです。代官のいた五条と十津川村の間にはとても険しい山地が横たわり、(明治時代の大水害の際は山崩れで完全に孤立化し、大阪へ被害が伝わるまで数日を要した)、幕府支配の度合いは他地域に比べ薄いものでした。最近、トンネルなどの建設でかなり道がよくなりましたが、国道168号からの風景は山深いものです。

 昔からの地域体制を守るため、十津川では中央の権力闘争に敏感で、歴史的体制変動の際には郷士が戦いの場に現れます。かれらは狩猟を基本とした生活で弓や銃の取扱いに長けており、勝つ見込みの体制に恩を売っておくことが目的でした。明治維新まで免訴地であり続けることができたのは地形的な理由の他に、このような努力の賜物でもあったのです。

totsukawa3.jpg

大水害
 明治時代の水害では村内各地で山崩れが発生、せき止められた川は増水、逆流し、甚大な被害をもたらしました。発生直後は完全に地域が孤立化し、被害状況も知りようがなかったそうです。
 今でもその爪あとが地形として残っています。
 そしてこの水害で家を失った人々が向かった先が北海道、新十津川町なのです。彼らは徒歩で写真にある山々を越えて大阪に着き、神戸から船で北海道に向かいました。どのような気持ちでこの山を歩いたのでしょうか。
 ちなみに明治維新でも十津川郷士は各地の戦いに参加し、薩摩、長州の藩士に混じって中央政府の要職につくものがおり、水害の事後処理にも奔走したそうです。
 参考1 http://www5d.biglobe.ne.jp/~kabataf/totukawa/totukawa2/totukawasuigai2.htm
totsukawa.jpg

totsukawa2.jpg

最近でも十津川村北隣の大塔村(現五条市)で地すべりが・・・・。とにかく見てみてください。

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